1月28日(プリスクール面接)1月28日生後8ヶ月8日 今日も朝からものすごく忙しい。 なぜって朝9時半に家を出る用事があったから。 前の晩から段取りで気が重い。 しかも昨日は夏海のお洋服に入園準備でネームタグをつけまくったため、ちょっと寝不足。 まだ面接もすんでいないのに入園準備するのはフライングやろうって? ほんと、自分の時はいつも前日ぎりぎりまで何の準備もしなかった私が娘のことになるとこう張り切ってしまうのは何でなのかしら? でもそのおかげで、晴れて私も「何で準備しなくちゃいけないのが分かっているのに前日までやらないの?もっと余裕を持って備えなさい」なーーんて、私が100万回くらい聞いてきた(母に言われたのよ、勿論)セリフを夏海に言う日も近いな。すでに旦那にはよく言ってるし。 そう、今日は夏海のプリスクールというか幼稚園というか、、、の面接だった。 去年3番目に見学に行った学校である。(保育園??見学第3弾 ) この面接は親だけなので、今日もSさん(ベビーシッターさん)にきてもらえるようにお願いしていた。 どうでもいいけど、Sさんはいつも張り切って20~30分前に現れる。 これ、結構迷惑。 だって本当にあわただしく準備している時だったりするんだもの。 普段だって、Sさんが来る前に夏海を寝かしつけて置いてあげようとちゃんと時間を計算してやってても、あまり早くこられるとちょうど寝かしつけている途中にピンポンとならされ、インターホンまで行く間に夏海が起きちゃうのだ。 話を戻して、今日は旦那とうまく連係プレーをして、途中私が小刻みに切れつつも無事全ての家事と夏海のお風呂、離乳食をすませ、更に9時半までに夏海を寝かしつけることも出来た。 しかも9時半には旦那も私もちゃんと出かける準備も万端。 私は久しぶりにちゃんとした格好をし、化粧もして髪の毛もセットして出掛けられた。 やり遂げた時にはちょっとした感動だった。 旦那が運転席、私がナビシートという、ものすごく懐かしい位置取り。 しかも、車で移動中もただ雑談だけしていればいい、という、昨今は全くありえなかったシチュエーション。 何故か急にそんな環境が懐かしくなって、眠たそうな旦那に向かって一人元気にハッスルトークしまくる。 これ、主婦? そうこうするうちに、道がすいていて30分かからないでついてしまった。 スクールの近くに駐車して待つ間、またハッスルトークである。 スクールにつくと、前回もお出迎えしてくれた若手の男性が今日もお出迎え。 そしてびっくりして旦那を見、「久しぶりですねぇ!お元気ですか?」と話し始める。 そう、何を隠そう、旦那の前の奥さんとの子供はここの卒業生である。 妊娠時代に保育園やプリスクールを色々調べた挙句、ここが一番気に入ったので子供が産まれたら見学に行こうと思っている、と旦那に伝えたら、「え?そうなの?そこはよーーく知ってるよ。。。」と言われたのである。 旦那も相当びっくりしたらしい。 更に私と娘が見学にいって二人で気に入って帰ってきた時は「予想はしていたけど、、、、しかし同じ学校に行くのか??」と更にびっくりしたらしい。 もしかしてこれも大きな運命の一つなのかもしれない。 去年夏海と一緒に見学に来た時は、だんなの事は黙っていたのでここのスタッフは誰も知らなかったわけである。 ソファに通されて二人で座る。 向こうの部屋ではスナックタイムらしく、また今日もうっとりとするバイオリンの音が聞こえてくる。 ピアノの伴奏は園長先生だ。 前回はクリスマスの時期だったので、装飾も手伝って余計にものすごくすばらしい空間になっていたけれど、何時来ても本当に落ち着けるというか、外がどうでもここはこうなんだなぁ、、、、というような空間である。 しばらく待っていると園長先生がやってきた。 旦那を見て目を大きく見開いて一瞬びっくりし、でも大きなHUGをしてものすごく嬉しそうに笑い、「Nice to meet you again!!」と握手して手をブンブン振っていた。 色んな事情があるにせよ、別に何も気にしないというこの園長先生のちょっとぶっとんだ明るさと人柄、私は結構好きである。 面接に入る前にちょっとした歓談。 このスクールに通っていた旦那の子供の話や園長先生の子供(二人は同級生らしい)の話をしたり。 そして面接が始まった。 どんなことを面接するんだろうと思っていたが、最初の15分くらいが夏海の様子や発達、健康の事などなどについて。 そして後の1時間強はひたすら私や旦那の幼少時代のこと、育った家庭環境のこと、それぞれの父親や母親がどういう人で子供に対してどんな両親だったか、ということに終始した。 後で旦那とも話したのだが、両親がどういう環境でどう育てられたのかということを知れば、どんな子育てをしているのか、教育に対してどう考えるのか、ということがほぼ分かるということなのだろう。 つまりは、子は親、そして更に言えば祖父、祖母がどんな人かによってほぼ決まる、ということだ。 第三者の客観的な視点で面接を受けながら、「お母様(私)のお母さんはどういう風に子供に接する方でしたか?」「お母様のおっしゃっていた事で、いまだに肝に銘じていることなどありますか?」という質問に答えながら、自分でもいろんなことが分かったから不思議だ。 「そうか、私はお母さんから教えられたからいまだにこういうことに拘るんだ。」 「お母さんのああいうところが子供時代に嫌だと思っていたから、今は出来るだけそうならないように気をつけているんだ。」 などなど。 脱線するが、予期せず聞かれた「母に教えてもらったことで今だに心に残っていることは何か」という質問に、私が反射的に答えたのは「とにかく真正面から人と付き合いなさい、ということ。ごまかしたりなおざりにするなら寧ろ付き合うな、ということ。そして、小さい時はやりたいことは何でもやらせてくれたけど、いったんはじめたら最後までやりとおしなさい、と言われましたね」ということだった。 後から考えれば他にも色々あるのに、とっさに口をついて出たのは何故かそんなことだった。 ちなみに先生は「本当にとっても真面目な方なんですね。」とコメントされた。 話を戻して、更に自分のことだけではなく、旦那の幼少時代のこと、両親のことなんて聞いたことがなかった話が沢山あった。 そういう意味でとても面白く、興味深い面接だった。 面接の途中に、園長先生がいくつかアドバイスの意味もあってお話してくれたことがある。 一つには今私がかかっている小児科はちょっと前に大分縮小されてあまりよくなくなってしまったので、もっと家の近くにいい小児科をみつけるべし、ということ。 よく触診をしてくれて、かつあまり何でも薬を出さない先生がいいともおっしゃった。 そして、いきなり病気になってからかかるのではなく、まずは新しい病院に健診でかかるようにも言われた。 そして、もう一つ興味深かったこと。 女と男は本来的に違い、得意分野も違うのだから、それを理解して父親と母親でうまく役割分担を行うように心がけるように、ということだ。 彼女が勧めていたのは、お母さんはとにかく子供の何でも受け止めてあげる、優しくて子供が甘えられる存在。 そしてお父さんは、いつも家にいなくてもいいからポイントではきっちり子供に言って聞かせられるような厳格さをもった存在。 二人でお互いを補い合ってバランスの取れた両親となるのだ、ということだ。 本当にそうだなぁ、と思ったと同時に、私はとにかく優しく何でも受け止めてあげられるだろうか?というのと、旦那は子供に雷を落としたり出来るんだろうか?という2つの疑問が。。。。 どう役割分担するかはまた話し合わなくちゃいけないですね。 そうそう、夏海の生活のリズムについてはものすごく褒められ理想的だといわれた。 夜は19時から7時まで眠り、更に日中2回もお昼寝する子が普通だなんて思っちゃ駄目ですよ!とも言われた。 そしてその時に面白い話を聞いた。 子供は基本的には体内時計が太陽と一緒だから、太陽が沈んでいる間寝ているのが自然なのだそうだ。 なので、冬は早めに寝るし夏は大体1時間くらい遅めになることがよくあるとか。 夏は太陽も早く昇るので、朝5時くらいから起きている子供もとても自然なことなんだとか。 最近夏海が朝7時まで寝ているのも、そういうことなんだととても納得がいった。 そういえばマレーシアにいた頃は夜19時にはなかなか寝なかったし、朝も犬たちの散歩前の6時前に必ず一度起きていたし。 先生いわく、このペースが理想的なのでこのままいくのがいいが、どうしても段々寝る時間は遅くなるとの事。 19時を崩すと一気に22時とかになってしまう場合が多いので気をつけなさいといわれる。 少しずつ遅くなって、お昼寝がなくなる3-4歳で夜寝る時間がいったん少し早くなり、最終的に小学校上がる時点で20時半、これベストらしい。がんばろう。 途中、一番上のクラスと上から二番目のクラスの子達が前を通り、全員整列して「おはようございます!」という元気な挨拶をしてくれた。 ビジターがいるときはちゃんと挨拶に行く、というのがここの慣わしだ。 今日はこの時間がとても楽しみだった。 この学校の子供たちを見るのは2回目。前回何となくあまり元気のない子が多いんじゃないか、という気がしていたのだ。 しかし今日の子供たちはとても好印象だった。 何人かものすごくチャーミングな感じの子供がいて、こちらは自然に笑みがこぼれてしまった。 一番上のクラス(大体皆5、6歳くらい)に3歳くらいのキュートな女の子が混じっていて、彼女がとっても小さくていたずらっぽい笑顔を見せていたのもとっても印象的だった。 全員が毎日通っているわけではないので、もしかして曜日によってちょっと大人しい子が多い日があったりするのかもしれないな、と思った。 さてと今日の一番大きな話題である。 アイデンティティの話題。 相当個人的でかつ難しい話題なのだが、ここ数ヶ月幾度となく旦那と議論してきたし、私自身も何度も何度も考えてきたことなのでちゃんと書くことにしようと思う。 前提としてここの園長先生はもともと幼少期にずっとお父様について海外を転々とされている。私は転々とはしてはいないがまぁ海外で過ごしているところが少し似ている。 そんな彼女の考え方は、「日本人としてのアイデンティティが確立される小学校期(学童期)は必ず日本の小学校で過ごすべきである」というもの。 私はどの時期にアイデンティティが確立されるのかは分からないけれど、何人だというアイデンティティというのは自分の立ち位置となる大切なもので、いつかの時期に確立されるのだと思う。 そして、最終的に何語で話すようになろうと、どこの国に住もうと、日本が好きだろうと嫌いだろうと、「私は日本人、それが私の立ち位置」というものを持っているのはとても大切なことだと思っている。 園長先生は更に「将来的に一人の人間が生きている目的として“何らかの形での社会貢献”というのがとても大切で、世界のどこかでその社会貢献をする上で“日本の何か”を持っている、それを持って貢献していける、ということがこれからは大切だと思う」ということも指摘されていた。 それに対して、旦那は何人かなどというアイデンティティは存在しないんじゃないか?という考え方だ。最終的に「地球人」「国際人」という立ち居地でもいいのではないか、という。 その証拠に彼は自分の一人目の子供をインターナショナルスクールの小学校に入れている。 その一人目の子供の進路について、過去にこの園長先生と散々議論し、もの別れのまま学校を変わったという経緯があるのである。 園長先生が、「では、、、、、未解決のままのあの問題を、、、」と切り出す。 「じゃあ、これはお父様からお聞きした方がいいですね」という園長先生に、旦那が「いや、この問題は実はもう夫婦で相当話し合っているのですが、彼女は先生にとても近いんです。」 と旦那が言うと、先生が振り返り「そうなんですか!それではお母様から。」と促される。 私が自分の考えを述べると、先生は大きくうなずき、一言「やっぱり、自分自身が異文化の中ですでに“ずれ”を経験したことがあることが大きいんですね。普通に日本に暮らしていていれば、アイデンティティなんて意識しませんから。海外旅行くらいではね。」とおっしゃる。 そうなのかもしれない。 私はイタリアにいったのが5歳だったので、きっとすでにその時すっかり日本人だったのだと思う。 一つだけ記憶にあるのは、5歳でイタリアに行ってすぐ、半年間イタリアの学校に通っていた時のことだ。 私はそのイタリア人学校が好きだった。友達も好きだったし先生も好きだったし、勉強もいつもよく出来る方で褒められてばかりでいい思い出ばかりだ。 でもそのイタリア人学校時代、私は常にちょっとした違和感を覚えていた。 何とも言い表せないのだけど、なんかざらっとした違和感。 それが日本人学校に移った瞬間になくなったのである。 最初は日本人学校のほうが窮屈だったにもかかわらず。 あのざらっとした違和感が、「私は日本人だ」といっていたような気がしている。 私は自分は日本人だと思うけれど日本人はあまりすきではない。 だけど好きか嫌いかというのはアイデンティティとはまったく違うのだと思う。 どの立ち位置からものを考えるか、ということだから。 「“イタリア”は大好きだけど異文化、“日本”はそんなに好きじゃないけど私の文化」といったところだと思う。 実際私は「この人、アイデンティティがちょっと危うくなってるのかも。。。」という人を2人くらい見たことがある。 「私って一体何人なのかよく分からない」という状態だ。 一人は南米であった人だったのだけど、日系2世か3世の方で完全に日本の家庭で育っているけれど国籍はペルーで友達との日常の会話はスペイン語、学校はインターで最終的にはアメリカで大学を卒業していた。 日本の場合、日本語というのがとても特殊なので、アイデンティティに言葉がとても密接に関わっているような気もする。 脱線するけれど、もっと大きくなってから、例えば高校や大学時代に1、2年アメリカに留学して、帰ってきたら、会うといきなりHUGしてきたりキスしてきたり、そして二言目には英語が出てきてしまう人たちが結構沢山いた。 そういう人たちはそんなに大きくなってからアイデンティティが揺らぐことはないので、明らかに日本人で日本ではどうすべきなのかも知っているにもかかわらず、かっこつけなのか海外で暮らしたことを人にアピールしたいのか、ちょっとおかしい人たちだと思う。 ま、とにかくアイデンティティなんて、難しい話で哲学や心理学の分野に入ってしまうのではないか、とも思う。 普通はこんなこと考えたことないだろうし。 しかし、私の一番身近にいる国際人である妹にこの話をしたら、「え?そんなもん関係ないよ。親がどういう一貫した姿勢で子供に臨んでいたか、ということが一番重要だと思う」とさらっと言っていたので真相の程はよく分からない。 彼女は3歳で海外に出ているので私とは全然違うはずなのだ。 ちなみに、今日の面接ではこの妹と私の違いについても何度も議題にあがった。 幼少期(先生いわく6歳まで)の刺激は本当に影響が大きいから、という理由でこの学校ではバイオリンやピアノの個人レッスンを行ったり、共通語が英語になっていたりするので、園長先生としても私と妹の例はとても興味があったようだ。 3歳と5歳ではかなり違うようだが、私がもうイタリア語を殆ど話せないのに対して妹がイタリア語と英語とスペイン語を相当程度こなしているのは、ただ3歳と5歳の差ではないらしい。 先生いわく、「それはただ3歳でイタリアにいったからではありませんね。妹さんはかなり語学の才能がおありの方です」と言われる。 そうだよね、これもまた納得。 最後に進路の話。 ここの学校の生徒は日本人だけでなく色んな国籍の子達がいるが、日本人の場合はほぼ全員日本の小学校に入学する。 今日聞いたら、殆どは公立の小学校らしい。 私立はいないんですか?と聞くと、「私立の小学校は、親の政治的なものがとても絡んでくるし、親の期待によるところが多いので、そういうことに子供を関わらせるのは本当にかわいそうです。」とおっしゃった。 でもこの話題は「詳しい話はまた追々していきましょう」 と今日の面接は終わりとなった。 本当に実のある1時間半で、私は更にこの先生のことが大好きになってしまった。 そうそう、面接はこれで終わったが、更にエッセイがある。小児科の先生が書いた記事を読んでエッセイを書くのである。 今日は力尽きてしまったので明日取り掛かることにした。 家に帰って一安心したのもつかの間、Sさんがこの学校について根掘り葉掘り聞いてきて、しまいには「へぇ、、、そんな学費の高いところに。。。。なつうみちゃんがかわいそう。。」と、そうね、軽く10回は言っていた。前にものすごく厳しいお受験の塾に通う子供をみていたことがあって、それと勘違いしているらしい。 それも今までに私の教育観を幾度となく話してきて、更にこの学校のことも話してきたのにである。 「要するに、英才教育の塾でしょう?」と言うのだが、全然要してないで、、という話で。 最近何を勘違いしているのか、人の家庭のことにことあれば干渉というか非難というか。 帰り際にも、玄関の外に積んであった生協の荷物をじろじろ見た挙句、「これ1週間で2人で食べるの?こんなにたくさん?一体どうして?へぇぇ。。。こんなに沢山ねぇ。。。」と嫌味に何度も言う。 教育にも食費にも無駄遣いしまくりの金持ちであほな主婦だと思っているのだろうか? 更に今日は私の大学名をいわせたかったらしく、何度もあの手この手で聞いてきたが、夏海の学校について親切に言われるがままに答えたら最後は非難ごうごうだったのに懲りて意地でも言わなかった。 一体何様のつもりか知らないけれど、夏海の学校が起動に乗ったらなるべく早くにもうお断りしたいと思っている。 本当にいい一日だったのに、けちがついたような嫌な気分にさせられた。 (今日の一言メモ) うちの妹はサルサ界ではちょっとした有名人で、日に何千アクセスを超える日記のライターでもある。毎日沢山のサルサファンが妹の日記をチェックする。 にも関わらず、昨日彼女の日記をチェックしたら私の日記がそのまま掲載されていた。 人気サルサ日記ライターが、しがない子育て中の主婦の日記をねこばばとは、、、、なんてふていやろうだ。 それより何より、妹の日記を読んで私の文章を発見した瞬間、毎日私の日記と妹の日記をとっても楽しみにしている母が妹の日記をチェックして「チッ!!」と舌打ちした音が聞こえたのは私だけだろうか? 妹の日記:OLリョウコの快楽サルサ日記 |